『週刊新潮』櫻井よしこ先生記事を紹介いたします

『週刊新潮』2016年11月17日号掲載の、櫻井よしこ先生記事「日本ルネッサンス第729回」です。どうぞご一読ください。


◇中国人の邦人惨殺、通州事件を学べ  櫻井よしこ

『文藝春秋』元名物編集長の堤堯氏が嘆く。─ 氏と同年代(70代後半)の日本男児が余りにも歴史を知らないと。

「仙台の中学の同期生、12~13人の集まりで通州事件を知ってるかと尋ねたら、知っていたのがわずか3~4人。歴史呆けは若いモンだけじゃない」

詳細は後述するが、通州事件は昭和12(1937)年7月29日払暁に、中国河北省通州で発生した日本人虐殺事件である。日本人を守るべき立場にあった中国人保安隊が一挙に襲いかかり、日本人居留民225人加えて日本軍守備隊32名の計257名を尋常ならざる残酷な方法で殺した。

日中戦争のこの重要事件を知らないのは堤氏の友人だけではない。他の多くの日本人も同様ではないか。その理由について、『慟哭の通州 昭和 十二年夏の虐殺事件』(飛鳥新社)を上梓した加藤康男氏が非常に重要なことを指摘している─「日本政府は戦後一貫して事件のことを口にしていない。奇妙なことだが、日中両国政府がこの事件を『なかったこと』にしてしまっているとしか思えない」。

中国への配慮からか、同事件に一切触れない外務省だけでなく、中国政府もこの事件を歴史から消し去ろうとしていると加藤氏が言うのは現地を取材したうえでのことだ。いま事件現場を訪れると、城壁や城門はおろか通州城の面影を示す建物全てが壊されているそうだ。

破壊は90年代に始まり、事件関連の建物の一切合切がすでに消えている。さらに通州は北京市に編入され、副都心化に向けた建設によって昔日の歴史がきれいさっぱり拭い去られようとしている。

「南京や盧溝橋はもとより、満洲各地にある旧大和ホテルに至るまでが 『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の差である。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきまでに消し去ったものとしか考えられなかった」との氏の直感は恐らく当たっていると思う。

凄惨な目撃談

中国人は長い時間をかけて歴史を書きかえつつあるのだ。彼らは、恐らく人類史上最も残虐な民族である。だからこそ、日本人を中国人よりも尚残虐な民族に仕立て上げ、免罪符を得ようとしているのではないか。

そのためには、悪魔の所業としか思えない残虐な方法で中国人が日本人を殺害した痕跡の全てを消し去らなければならない。それがいま、通州で起きていることではないか。

通州事件が発生した前年の12月に、蒋介石が張学良に拘束され、国民党と共産党が抗日で協力する体制が生まれた。西安事件である。国民党軍と共産党軍が対日戦で協力するとはいえ、中国各地には彼らの他に匪賊、馬賊が入りまじって戦う複雑な状況があった。しかし、通州城内は防共自治政府の保安隊(中国人部隊)によって守られているから安全だと信じられていたと、加藤氏は説明する。

事件発生当時、邦人の安全を担う日本側の警備隊は用務員、小使らを加えても163名が全てだった。対する中国人保安隊は城内に3300名、城外に2500名がいた。

この勢力が29日午前3時すぎ、一挙に日本人を襲い始めた。悪魔の所業は加藤氏の『慟哭の通州』もしくは今年出版されたもう1冊の本、『通州事件 目撃者の証言』(藤岡信勝編著・自由社)に詳しい。

中国人は日本人の目を抉り取り、腹部を切り裂いて10・以上も腸を引っ張り出した。女性を犯したうえで無残に殺した。何人もの日本人を生きたまま針金で掌を貫いてつなぎ、なぶり殺しにした。日本人の遺体は全て蓮池に放り込まれ、池は真っ赤に染まった。

こうして書いていると息が苦しくなる。日本人には信じ難い地獄を、中国人は実際に次から次へとやってのけた。なぜこんなことが分かるか。

夫が中国人で通州に住んでいた佐々木テンさんが事件の一部始終を目撃していたのだ。佐々木さんはその後、夫と別れて、昭和15年に日本に戻った。50年後、彼女は佐賀県基山(きやま)町の因通寺住職、調寛雅(しら べ・かんが)氏に凄惨な目撃体験について語り始めた。それがいま、前述の『慟哭の通州』と『通州事件』につながっているのだ。

当時の歴史を振りかえると中国側が如何に対日戦争に向かって走っていたかがよく分かる。戦争をしたかったのは中国であり、日本ではなかっ た。このことは立命館大学の北村稔教授が林思雲氏と共著で出版した『日 中戦争─戦争を望んだ中国 望まなかった日本』(PHP研究所)にも詳しい。

加藤氏も中国人の好戦性を書いている。昭和12年7月7日夜、北京郊外で勃発した盧溝橋事件は、国民党の宋哲元軍長麾下の第29軍が日本軍に発砲したことが契機である。日本政府はいち早く事件の不拡大を決定したが、 中国側の挑発は続いた。10日には中国人斥候が日本軍将校を銃撃、13日には日本軍のトラックが爆破され、4名が死亡する「大紅門事件」が起きた。

反撃の材料

25日には北京郊外の駅、郎坊で軍用電線が中国側に切断され、修理に向かった日本軍の補修隊が迫撃砲による砲撃を含む激しい攻撃を受けた。ここに到って日本側は先に閣議決定しながら実施せずにいた派兵を実行することになったのだ。

こうした歴史を日本人は余りにも知らない。意識しない。中国の歴史捏造に反論しないのは、そもそも、このような歴史を知らないからだ。堤氏が語る。

「岩波の『近代日本総合年表』は、世界の歴史を1日刻みで輪切りにして書いていますが、僕の手元にある版には通州事件が載ってない。これはおかしいと、岩波に問うたら、通州事件を加える必要を認めない、要は編集権の問題だというのです。ただ、その後に出版されたものには通州事件も入っていた。僕の抗議が功を奏したのかもしれませんね」

中国が歴史を捏造し、日本に酷い非難を浴びせても、外務省は反撃しない。反撃の材料のひとつである通州事件にも、加藤氏が指摘するように一度も言及していない。

学校でも通州事件を含めて歴史そのものを余り教えない。この奇妙な知的無関心の中で、通州事件は、中国の企むように忘れ去られていくのか。 断じて、そんなことは許されないだろう。

私たちはもっと先人たちの思いや体験に心を致すべきだ。日本を作ってきた先人たちの努力や誠実さを知るべきだ。日本人の歩みを知らないことによって歴史の真実から遠ざかり、日本悪玉論を軸とする中国の歴史の見方に自ら転げ落ちてはなるまい。加藤氏の『慟哭の通州』と藤岡氏の『通 州事件』を、日本人なら、いまこそ読むように強く勧めたい。

『週刊新潮』 2016年11月17日号
日本ルネッサンス 第729回

 

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