今年も暑い夏がめぐってまいります。
来る7月29日は、日本と中国との戦争が始まった昭和12年に、北京東方の通州という城郭都市で起こった日本人虐殺事件の82年目の日にあたります。この日は殉難者の命日でもあります。
虐殺事件の下手人は、親日的な地方政権の配下にあった、「名目は警察・実質は軍隊」といえる保安隊という組織の3000人の支那人でした。彼らは通州に在住する約500人の日本人を保護する任務を帯びていたにもかかわらず、卑劣にも日本軍の守備隊が作戦行動のため出かけたスキをついて反乱を起こしたのです。
29日午前零時、反乱軍は城門を閉鎖し、電話線を切断して外部との連絡が出来ない密室状態にしてから、未明から午後にかけて、城内各所で、予めチョークで印をつけておいた日本人の家屋や日本旅館を集団で襲いました。
城内では、眼球を抉り取り、腹部を断ち割り、内臓を引き出し切り刻む、妊婦の腹から胎児を取り出し踏みつける、などの天人倶にゆるさざる蛮行が終日続きました。城内には血の匂いが充満し、殉難者たちの阿鼻叫喚の声が止みませんでした。こうして、無辜の日本人257人が支那兵によって拷問・惨殺され、死体陵辱されたのです。
詩人西條八十は、「かかる鬼畜に似たる蛮族を隣邦に持ちたるある時代のアジアの恥ずかしさ、けがわらしき歴史を子々孫々まで語り聞かせよ」と訴えました。
私たちは、この呼びかけに応えて4年前から活動を始め、当時の新聞記事を網羅的に集めたり中国で出された事件関連論文の翻訳資料をつくったりするなど、歴史研究の基礎資料の蒐集・刊行に取り組んで参りました。
それと同時に、3年前から靖国神社に昇殿参拝し、殉難者の無念の心に思いを致し、ご冥福をお祈りする慰霊祭を挙行して参りました。参加者数の多寡にかかわらず、この式典は必ず毎年続けて参ります。それが、恨みをのんで斃れた同胞への義務であり、未来に生きる子孫への責任でもあると信じるからです。
心ある日本国民のご参加をよびかけ、お誘いの言葉とします。
通州事件アーカイブズ設立基金
代表 藤岡信勝